2021年4月25日日曜日

チャリ旅 高瀬裏川水際緑地公園

 今回は、玉名の高瀬裏川緑地公園を見たくなってチャリ旅。

ここは花しょうぶで有名だが、花は5月下旬から6月上旬に咲くとのこと。

ちょっと早いので花は咲いていないだろうが、季節的に気持ちよく安らげそうなので行ってみたくなった。

玉名までの距離は、片道26km。

十分に行ける距離と思ったが、熊本市と玉名の間は山がある。山すその道を通っても、上り坂が多い。行きは良くても、帰りが辛そうな。

だったら、

『輪行袋を持って行って、帰りに辛くなったら、電車で帰るか』

とも考えたが、熊本でも新型コロナの感染が増えてきているので、電車には乗りたくはない。

と、いろいろ悩んだあげく、

結局、車に積んで、菊池川沿いの駐車場に停めて、玉名を回ることにした。

高瀬裏川には、石垣や船着場など商家町、港町として繁栄してきた高瀬の歴史的遺産が今も数多く残っている。
貿易港として発展し、川底からは元~明初期の陶片などが大量に採取されている。
江戸時代には、肥後米40万俵のうち20万俵が、高瀬御蔵に集積し、大阪の堂島に積みだされていた。

駐車場のすぐ近くに【高瀬裏川水際緑地公園】がある。今は、水際公園として整備されているところだ。 

花しょうぶは700mと確かに花が咲いたらすごいような気がする。

よく見ると、白い花がポツリ・ポツリ見える。
この日も天気が良くて、30℃くらいありそう。
今年は、早く花が咲くかもしれないな。

川を下ると、橋が何か所もかかっている。



橋の上部はV字がたになっている。これは、中央をへこませることによって、俵を担いで渡る時に安定するための工夫とのこと。
それにしても、細いこの橋を、俵を担いで渡るのは、結構大変に思える。

公園にトイレも整備されており、入ってみると、迎えてたのは、
玉名市のマスコット【タマにゃん】
音楽が鳴ると踊りだし、絶対音感の持ち主だそうだ。

川を下っていくと、
よく整備されていますな。

次に見えてきたのは、【高瀬眼鏡橋】

更に下っていくと、
川はここで終わりだ。右側に水門みたいなものがあって、菊池川とつながっている。

次に向かったのは、【高瀬船着場跡】
加藤清正は掘替工事を行い、この地に菊池川流域産米の集積、大阪への移出のための米蔵を作ったと書いてある。

川の方に向かうと、
俵ころがし場が二つある。

結構急斜面で、これを転がすのも大変そうだ。
江戸時代の人は、60㎏の俵を簡単に持ち上げていたそうだから、この斜面を転がすのは、それほど大変でなかったかもしれない。

菊池川沿いにしばらく下っていくと、
【西郷小兵衛の墓】がある。
川沿いの土手をしばらく走ると、住宅の端の方に、小さな看板が見えた。
土手を下っていくと、
明治10年10月27日、31歳で戦死と書かれている。
お供え物があり、今でも、地域の人から大切にされていると思われる。
が有名であるが、
次に玉名市の中止街を抜けて、5重塔へ向かった。
玉名市の五重塔と言えば、「蓮華院誕生寺奥之院」が有名であるが、今回は住宅街の中にある「蓮華院誕生寺本院」へ向かった。
近づくにつれて、上部が見えてきた。
全体が見えるところを探すが、なかなか見つからない。

遂に、入り口まで来てしまった。
中に入らずに、離れてみると
やっぱり、全体は見えない。

次に向かったのは、菊池川の上流側にある西南戦争跡地。
白い看板に【薩軍殉死の地】と書かれている。
で、石柱をよく見ると、「耕地整理記念碑」と書かれている。
西南戦争とは関係なさそうだ。

反対を見ると、田んぼになっている。
関ケ原もそうだが、今は田んぼとなっている。
田んぼの周りの小高い丘の上に、陣地があって、戦いの場は田んぼの中が一般的だったのだろうか?

そこの川沿いには、【柳澤公園】があるので、橋の上からのぞいてみた。
草刈を終えたばかりの様で、広々とした緑地が広がっていた。

帰りは菊池川沿いの道を走った。正面は新幹線の線路である。

今回のライドは、19km。


PS

ところで、
西南戦争の名前の由来は、
 日本の南西の地で行われた戦争だから。
だったらなぜ、南西戦争と言わないのか?
 現在は北東・南西など、北南を先に言うが、当時は、中国で使われていた東西を先に言うことにしていたから。
 英語も、北東の風をNortheast windというので、英語に合わせて、北南を先に言うようになったのだろうか?
 だったら、東北地方を現在の呼び方で言えば、北東地方になるのだろうか?

やはり、言葉は奥が深い!!!

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2021年4月22日木曜日

チャリ旅 立田自然公園・泰勝寺

立田自然公園は、細川家のお墓などがある公園で、一角には細川家の住居があるみたいです。

立田自然公園のホームページには、

 立田山麓にある、熊本藩主・細川家の菩提寺泰勝寺(たいしょうじ)跡です。細川家初代藤孝(ふじたか)夫妻と二代目忠興(ただおき)とガラシャ夫人の墓「四つ御廟(ごびょう)」や、武人でありながら茶道にかけては国内随一といわれた細川忠興の原図に基づいて復元された茶室「仰松軒(こうしょうけん)」などがあります。

と書かれている。

立田自然公園の入り口に石柱がたっており、「泰勝寺跡」と書かれている。


入り口で受付を済ませて中に入ると、看板に

要するに、熊本城をつくった加藤清正の後に肥後藩主となった細川家歴代のお墓があるお寺の跡地とのこと。
驚いたのは、明治元年に神仏分離令は発令されて、廃寺となったそうだ。
「神仏分離令」ってなんだ?
明治政府は、王政復古の実現のために、それまで行われてきた神仏習合を禁止し、神社から仏教的な要素を排除したそうだ。
こんな事、学校の日本史で習ったけ?

で、入り口から公園内を見ると、すぐに池がある。


人もいないので、静かにくつろげる場所だ。
池の淵にベンチがあるので、そこに座って、しばしらくくつろぐ。
以前来た時に比べて、池の水が少なくなっているような気がする。

池の奥には、茶室がある。


この茶室は、大正時代に復元されたとのこと。
隣に足場パイプで何かしていた。修復だろうか?


「四つ御廟」の方に向かうと、階段の前に説明がある。

3代目忠利が初代藤孝夫妻と2台目忠興とガラシャ夫人の廟を建立したとのこと。
祖父母と両親を祀ったということだ。

登ってみると、
廟が4つ並んでいる。手前から藤孝、婦人、忠興、ガラシャ夫人のものだ。
一番奥にガラシャ夫人のものは、


どれも同じように見えた。
そういえば、ガラシャ夫人と言えば、
 「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
なるほど・・・
つくも君のチャリ旅も、散り時を心得なければ・・・
なんて思いながら、更に奥に進むと、この先に宮元武蔵のお墓と書いてある。
宮本武蔵のお墓が見えてきた。


宮本武蔵の墓は、何か所もあるらしいが、武蔵塚にあるのは知っていたけど、ここにもあるとは・・・

歴史に浸ったので、帰る途中に、白川の河原で一休み。
車だったら、駐車場がないので、遠くに車を停めて、歩くことになる。バイクだから簡単に来れるのだと、感謝。
それにしても、この日は良い天気で、

雲一つない天気とはこのことか。
水面に空が映り込んで、水もきれいに見える。

今回のライドは、

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2021年4月19日月曜日

チャリ釣り ティラピア

 先日、用水路を通るときに、30cmの魚が何匹も泳いでいた。
用水路なので、車だと駐車場がないので、ここで釣ることはできないが、クロスバイクで来れば、釣ることができる。
と言うことで、チャリダーフィッシングをすることに。

だが、問題はいかにして、ロッドを運ぶかである。

ロッドを手にもってバイクに乗るのは、危険を伴うのでしたくない。
 最初に考えたのが、バス用ロッドは持っているので、自転車用ロッドホルダーを取り付けること。
でも、道路を走っているときにロッドが邪魔になりそう、そして、ロッドを立てたクロスバイクで街の中を走る勇気もない。

と言うことで、リュクに入るサイズのコンパクトロッドを購入することにした。

用水路の中に、魚がいるかどうかを確認しながら走っていると、50㎝くらいの鯉や、小魚が泳いでいる。
コンクリートで囲まれた用水路だけど、魚は結構いるもんだと感心しながら走っていると、
魚の群れを発見。
バイクをガードレールの用水路沿いに停めて、釣りの準備。



タックルの準備を終えて、用水路の中を見てみると、


凄すぎる。大きさは40㎝ぐらいの魚がまさしく 三密。
養殖場の生け簀の中みたいだ。
水深は20cmから30㎝くらいで、背びれが見えている。
近づくと、慌てて逃げるので、水が濁ってくる。

「これならすぐ釣れる」
と思って、ルアーをキャスト。
だが、全く釣れない。
ワームに変更しても・・・
スピナーベイトに変更しても・・・
全く釣れない。

よく見ると、ブラックバスと違う。

なんだ? この魚は?
チヌみたいに見える。
まさか、チヌが海からここまで登ってくるなんてありえないよな・・・

何を投げても、全く興味を示さないこの不明の魚たち。

これだけいるのだから、投げたら、引っ掛かってくるかもしれない。
と思って、一番大きなルアーを投げてみた。
数投目で、引っ掛かってくれたが、痛恨のばらし。
そして、更にキャストを続けていると、
遂に、その時はきた。

遂に、フィッシュ!!!
余りの重量感なので、挙げることができない。
クロスバイクで来ているので、ネットなどは、当然無い。

しばらくこのままの状態にして、魚が完全に元気がなくなるのを待つことにした。
そして、遂に魚を引き上げた。

サイズは、約38cm。
体高もあるので重いはずだ。
ルアーを見ると、えらの上の方に引っかかっている。
やはり、釣ったのでなく、引っ掛けたのだろう。

ところで、この魚はいったい何者?

調べたところによると、
「ティラピア」
だと思われる。

外来魚だけど、食べたらおいしい魚だそうだ。

ティラピアであれば、ルアーで釣れるそうだが、ルアーに全く興味を示さなかったのは、なぜだろう?

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2021年4月14日水曜日

チャリ旅 熊本城

  今日は、熊本地震から5年目で、テレビでも復興状況などが放送されている。

そういえば、熊本地震は2016年4月14日の21時過ぎ、大きく揺れて怖かったですな。

そして翌日の深夜、さらに大きな地震が・・・

この時は、みんな外に出て、朝まで過ごしたな!

「5年目だから」と言う訳ではないが、先日、熊本へのチャリ旅へ。


天守は、二の丸公園からは何事もなかったように見る。

でも、石垣を見ると、

まだ、地震当時のままだ。
崩れた石垣や、まだ積まれていない石が、あっちこっちに保管されている。

話題になった「一本石垣」も


まだ、完全には修復されていない。
拡大してみると、崩れなかったのが、不思議だ。


崩れなかったのが、不思議だ。

後日、桜の花が咲いている頃に、熊本城内に入ってみた。

見学用の仮設通路ができて、内部が見られるようになっている。

城内に入場するためには、まず、行幸坂の入り口にある「熊本城ミュージアムわくわく座」のところでチケットを購入する。


その後、行幸坂を登って、城内に入るようになっていた。

城内は、以前は、石垣の間を抜けて、天守まで行っていたが、石垣が崩れてて、危ないので仮設通路が創られている。


仮設通路を渡っていくと、天守が見えてきた。

石垣崩れており、以前は桜で覆われていたが、今は桜はちらほら程度。


更に、仮設通路を歩いて、

更に、仮設通路を・・・

この通路は、「空中回廊」と名前が付けられている。
確かに、城内を上から見ることができる。
これも、熊本城の楽しみ方の一つでもあるかもしれない。

天守に着くと、

修復工事中のため、何台もの工事用トラック。
以前は、ここは桜が一杯で、この位置での花見がベストポジションだった。
だが、今は、桜の木は少ししか残っていない。

城内の桜も、

この程度しか残っていない。

熊本城の修復完了は、2037年とのこと。

それまでには、以前の様に桜の木も成長してほしいものだ。

チャリ旅は、熊本城二の丸公園を通り、「旧細川刑部邸」へ。

駐車場に行くと、

「自転車は駐輪できない」

とのこと。

結構離れた場所に駐輪場があるみたいだ。

そこから歩いてくるのも、面倒なので、その横を通り過ぎ、その先にある「熊本博物館」に行った。

まるで、修復工事中みたいに、カラーコーンが並んでいた。
コロナ対策で、入り口と出口を分けているみたいだ。
入り口も狭くなっていて、消毒剤がおいてある。もちろん受付で、検温も。
中に入ると、人が少なくて、密になることもなく、安心してみることができた。

家に帰る途中、「夏目漱石内坪井旧居」に。
夏目漱石は第五高等学校(現熊本大学)の教師で熊本にいた4年3か月の間に、6回転居したそうだ。
ここは、5回目で、最も長くいた住居だそうだ。

駐車場に着くと、そこに、工事用の仮設事務所が建てられている。
しかも、入り口に案内板が・・・
「工事のため閉館中」
だって!

最後は、残念であったが、今回のチャリ旅はここで終わることにした。
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